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「纒向型」よりも前方部が長くなった勝山古墳に埋葬か。なおこの時の外交全権大使「難斗米」(ナトべ?)は奴国の大首長で那珂八幡古墳に勝山前後して埋葬を想定。 この第3代「卑弥呼」没後男王は、反乱起こり廃されるが、埋葬古墳候補は布留0式古相前半の東田大塚ないし中山大塚。第4代「卑弥呼」は

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Takeo Kusumi@T_Kusumi057

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即位経緯が郡使ないし魏使に伝わり「台与(壹与?)」。倭王権はより絶対化し、即位後しばらくして超大型古墳造営開始。これが箸墓。箸墓の位置には、前代「卑弥呼」代のなんらかの祭祀施設(祭壇?)などがあったことを想定し、造営位置が決定された。箸墓造営で各地から人が集まり、纒向は超大規模化

Takeo Kusumi@T_Kusumi057

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