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中大法科は昭和40年代50年代初頭は東大法学部と司法試験合格者の数を1位2位を争い、私立大学にあっても法科の名門とされた。しかし、八王子に移転し、関係者の不祥事が頻発したことから、早稲田や慶応の法学部に水を開けられ、野村が入学した昭和56年頃は上智法学部よりも偏差的に下だったと思う。

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Jun Arisawa@JArisawa

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野村修也には司法試験受験生が使う商法の基本書もなく、学者と言うよりはテレビへの露出が多い評論家的イメージが強い。昔の主要な中大法学部教授は在学中に司法試験合格した者が多く、最後まで司法試験に合格できず、特例で弁護士になった野村修也は中大法学部凋落の象徴と言えるであろう。

Jun Arisawa@JArisawa

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