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明治書院の拾遺和歌集を読んでたらやっぱり義懐の本邸が東院(小一条殿の東側)とあってめっちゃ気になった。この情報は拾芥抄や二中歴由来なんだろうか?どっちもあるけど文学部研究室蔵なので部外者には入りにくい…桃園殿もそうだけど伊尹周辺の邸宅伝領、判明してる部分が多いだけにややこしいな…

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京都在住@FJCqA8PvcO5412

義懐の娘sは道綱母の大姪の可能性が高いので気になるんだが拾遺集にしか残ってない…長女は東院に「侍る」、次女は斎院の「養ひ給ひける」らしく次女は裳着前みたいだけど、長女なんなのか…小町谷照彦氏・倉田実氏校註の拾遺和歌集には東院が義懐の所有だったとありますが…

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みんなのコメント

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桃園殿って桃園=皇族系の邸宅多い→代明親王から恵子か保光伝領だろと思い込んでたんだけど普通に伊尹由来だった。保光わざわざ孫の行成養育のために転居したのか…行成の太政官牒は貞元親王の「西園」、後に伊尹の「東閣」だった故に伝領したと。源重光の屋敷も一条大宮北東でご近所さんなんか…

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