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それと、文教研といえば木村敏、中川久定、廣松渉、野家啓一などの哲学者、文学者を積極的に招き入れ、河合臨床哲学シンポジウムなどの独自の学術イベントを開催していたけれど、逆に、日本の哲学界、人文学界にとって河合塾、河合文化研究とは一体何であったのか、何であり得たのかという問いが立てら

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みんなのコメント

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予備校ではないが「予備校的なるもの」を体現していると言える、もう一つの例として(一つは斎藤哲也氏の『哲学史入門』)、ゲンロンカフェという場を、私も挙げています。「逆」については、ふつうに大学教員が予備校にアルバイトで出講していた過去の構図の、場を変えた反復(でもある)と思います。

入不二 基義 Irifuji Motoyoshi@irifuji

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1984年3月の「ウルトラ受験人まつり」という受験お疲れイベントでは中沢新一が「天国、極楽、シャングリラ」という講演しているし、1989年のエンリッチ講座では浅田彰が「メタファー 隠喩としてのエイズ」で講演を行なったりしている。浅田講演の担当講師は小林敏明と書かれているので小林先生が浅田

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れるように思う。 これは余談だけれど、東浩紀さんも2012年のエンリッチ講座で、「人間と動物のあいだで引き裂かれる「人間」」という題目で講座を行なっている。

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