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→ 人のいない海(実際には島民の暮らしの場)へと閉じ込められ、被害は不可視にされた。こうして、核はその後も人類史から退場することなくのさばってきた 1953年の映画「ひろしま」には、工場で働く原爆孤児の青年が突如辞めてしまうラストシーンがある。学校時代の元担任に理由を問いただされ、
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→ 「工場が弾薬を作りはじめたが、僕は兵器を作るのはいやだ。また戦争になったら今度は僕たちが戦場に行くことになる」と答えていた。これは〈旧日本軍の兵器工場が朝鮮戦争でアメリカへの武器提供にフル稼働した史実〉に呼応する(**朝鮮戦争と日本の相関‼️)。 大国の戦争に翻弄される弱者として、