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ならば、燕滅亡に直面し亡命する慕容部の姫や貴公子などが漠北を更に北へ、凍てつく韃靼海峡を決死の覚悟で渡り樺太へ、そして蝦夷へ、果ては大和へ辿り着き倭の王と結び付き、国の担い手と成った……という証拠も無い推論はロマンティシズムの極みだが、貴種流離譚は人の興味を掻き立てるものである。

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でもまあ、慕容垂の建てた後燕は中間および遼東まで支配を広げ、それが瞬く間の北魏の大攻勢によって遼東まで押しやられたのだから、滅亡に際して朝鮮半島へ落ち延びそこから日本へ渡った可能性だってある。扶余や高句麗に追立てられながら韃靼海峡へ至ったとするのも貴種流離譚としては見栄えが良い。

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