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ボクの洋楽原体験はホール&オーツだったんですが、R.フリップがレッドをリリースした後に解散して77年にプロデュースした「セイクレッドソング」がレコード会社から「内容が時代に早過ぎる」と80年までリリースされなかった逸話は未だに興味深いです。

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やるき なし夫@zess_ektah

みんなのコメント

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有難うございます!

ワールド・ディスク@WORLD_DISQUE

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そんなD.ホールが自分の番組を持って「自宅に友人を招いて気軽に食事しながらジャムる」奴で40年振り?にR.フリップと邂逅して「D.ホールのハウスバンドをバックにR.フリップがRedを弾く」は鼻血が出るほどビックリしました。あれは良かった。

やるき なし夫@zess_ektah

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もし録音直後にリリースされていたら、P.ゲイブリエルやD.ボウイと並ぶ「尖った」アーチストとして認識され、その後のポップス路線には行かなかったかも、、、とは言いつつH&Oの作品でも「Falling」や「August Day」という実験的な録音は残しているんですが。

やるき なし夫@zess_ektah

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