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以来、山陰屈指の霊場、但馬國総祈願所として、歴代國主、諸公をはじめ一般の尊崇いよいよ篤く隆盛を極めし権現様であり、また神変御流修験道の根本道場として、奥の院に散在する行場、百余町歩余りに、坊舎五十余宇、白衣の行者常住して修行にはげみしと言う。

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アセダイスケ@歴史係@asedaisuke_hist

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第百五代後奈良天皇の天文七年雷火に依り奥の院を除く、伽藍悉く山火を伴って焼失す。後、十五宇の諸建造物の再建なるも天保三年三月、 空前の南風吹き荒れ、全山五メートルを越す積雪、一時に溶け、現在の 本坊より約一、五キロ奥にある通称「底無しの沼」「蛇抜け」と称する山岳の崩壊に依り・・・

アセダイスケ@歴史係@asedaisuke_hist

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