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明治22年(1889)の今日5月16日、上野の博物館が帝国博物館と改称。それまで館長職には〈文化財とか文化とは縁のない、勧業官吏や幕末の志士〉が就くことが多かったが、この時、九鬼隆一が着任し、〈国家の至宝である「美術」を収集〉する方針を打ち出し、同時に博物館を一大研究機関へと変貌させた。 pic.twitter.com/wbQ4AFMC2w

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博物月報@hakubutu

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これが大きな意味をもつのは、それまで日本の学界は江戸期以来の儒学のように書物を中心としたものが主流で、物(物質資料)の研究は軽視されてきた。それが、物質資料の一大研究機関が出現し、美術史や工芸史はこの時期に学問として歩み始めた(当時は美術史の研究書らしきものは全くなかったという)

博物月報@hakubutu

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