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私の祖父は中国山地の小さな集落で教師をしていたので戦後間もない頃の山間部の暮らしを時々話してくれるが、中でもお気に入りなのが家庭訪問の話だ。中国山地は穏やかな山地なので切り立った渓谷のような壮絶な地形はないのだが、それでも麓から歩いて何時間もかかるような秘境集落もあって、

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Podzol@alfi_le

みんなのコメント

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祖父の担当していた学級には、そういったとんでもない山奥から通ってきている子がいた。 その子の家庭訪問へ行くのは大変な苦労で、麓から延々山道を歩いて行くのだが、家に着く頃にはすっかり日も暮れて「夜の山は危ないから泊まって行きなさい」という事でその子の家に泊らせてもらったそうだ。

Podzol@alfi_le

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お話を聞いて懐かしくなったので、外から失礼します 九州南部、人口一万前後の町で育ちましたが、そこでは家庭訪問の最後の家は酒食で先生をもてなすことが当たり前だったらしく、私が子供の頃はその風習も廃れつつある中、宴会好きな父の意向もあってもてなすことを続けていた家で育ちました

✽+†+✽―ぷらなす―✽+†+✽@plunus_DTH

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私の祖父も小谷村の北小谷、旧安曇村稲核の中学校とその分校で教員をしていたので、未舗装の峠道を何時間も歩いて家庭訪問へ行った話や、豪雪地帯の小集落へ届け物をしに行ったりなどの話は聞いたけど、その祖父はもういない。 今になってこういった話をもっとしておけばと後悔している。

Swift Sultan✨@SwiftSultan1

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【山の郵便配達】という中国湖南省山間地帯の郵便配達の映画をふと思い出しました☺️✨

すいすい🌱🙈@suisui417

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昭和30年代から40年代にかけて山村集落は激減しました。山の暮らしは日本文化の大切な一つでしたが、今や殆ど失われてしまいましたね。 誠に残念です。山村復活が日本文化にとって重要なピースだと思います。

DANMATSUMA@DANMATSUMA2627

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滋賀県の男鬼集落跡なんかは、まさにそういった秘境だったんだろうな あそこに1970年代初めまで人が住んでたなんてちょっと考えられん。

藤波@単冠湾泊地 EXIGA&NMAX乗り ワクチン5回済@DD_Fujinami

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私の実家も中国山地の 山間にあります。 結婚の挨拶のため 主人の運転する車で 実家へと向かったのですが どんどん人家がなくなり 街灯もまばらになったころ 一言 「この先に家はあるのか?」 結構肝の据わった人ですが さすがに不安になったようです。

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私は 一学年一クラス 8名 の所謂、僻地校で中学まで 過ごしました 今も兼業農家です 近々市営バスが無くなる様です 僻地の暮らしは一長一短ですね

NekoのJin3@KUMA_G3

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今じゃ強盗の被害に怯える有り様ですからね

RYU🅙@TSm5121

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故郷を思い出す話で ありがとうございました 被災地能登もそうですが ふるさとが 失われていくのは寂しいです

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