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だとしても、劉邦の漢は初めから「天下を取る」つもりだったので、むしろそういう意味では祖国統一をそれほど測ろうとしない楚の項羽から逃れ、劉邦に降ったのはむしろ「愛国的」とまで言える。あと、中国であるという観念はもう周(下手すれば殷)の段階であるので、そもそも「別の国」とはいえない。

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これはつまり、日本の大名同士は別の存在だろうが、しかし全て「日本」の一部を成す存在であることは疑いがないのと同じで、中国には日本の天皇のようなものとして、「易姓革命」が存在し、それがために中国は常にひとつだった(これは三国時代では魏が常に正統であったのと同じである)とまで言える。

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