ポスト
ふと思ったんですが、毛利家が関ヶ原の敗戦後に創建した萩城五重天守、よく徳川が許してくれたな~と😅。周辺の米子、松江は四重天守、佐賀、小倉、岩国城は唐造を用いてわざわざ四重にしています。津山、福山城は五重天守にも関わらず、四重目屋根を板葺にして四重天守を装っていました(そこまでする… pic.twitter.com/Qd1CFr6vtO
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く
萩城天守と松江城天守って実はよく似ていて、両者を比べることにより、その辺の処は分かるかと。 前者の五重と後者の四重を分けるのは、三重部分の出窓に続く庇屋根の有無であり、つまるところは津山や福山と同じで、もし突っ込まれたら「屋根ではなく庇なので四重です」と言い訳できる造りだったと🤔 pic.twitter.com/BwK3W2kfr1
メニューを開く
毛利の減封で西国の大名たちを恐怖に陥れてみたけれど、それで「やられる前にやってやる」とならないように、立派なお城作らせて「悪くないかも」と思わせたとか。。。 あとは大阪冬夏のような最終決戦に向けて単純に金を浪費させた 天守閣なんて戦には役に立たないのがわかってきた頃だし
メニューを開く
ギャグか史実かどうがはわかりませんが「風雲児たち」というマンガでは天守築城に築城場所や高さ制限を設けられ、見た目だけ立派にしたという形になってました。 実際、姫路城とかと比べると規模的にはやや低めの作りのようです。