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教育総監・渡辺錠太郎らが殺害され、負傷者も出ている。首謀者は陸軍のなかでも天皇親政を目指し、そのためには武力行使などを辞さない「皇道派」だった。貧しい農村出身の青年将校が中心で、政財界の不祥事や汚職事件、不況への政策に憤りを覚えていた。
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彼らは天皇を中心とした新しい政治体制を築く「昭和維新」を掲げていたが、肝心の昭和天皇の怒りをかって鎮圧、処断されるに至る。以降、政治の実権は陸軍のエリート派閥「統制派」が握るようになった。 次に昭和11年11月25日に日本とドイツの間で調印された条約だ。