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仏・分子生物学者モノー「偶然と必然」でも「目の前の小石(という特定の原子配列)は存在する義務は負っていないが存在する権利は有している」(その配列でも自然法則に違反しないけどその配列である「理由」はない(配列の「原因」があるだけ)ことを指して)と そして我々生物も事情は同じ、と
メニューを開く永澤 護/dharmazeroalpha@哲学@XlGjfmYpCchopJ6
確かに理由(律)または目的因(的な何か)がなければ「十分条件」が欠けるので「必然十分(条件)」には決してなり得ないと言えます。アリストテレス、デカルト、ライプニッツ、ヒューム、カントなど皆着目したのはそのポイントですね。