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奈良時代にはイラン人(ペルシャ人)の官吏・破斯清道がいたとされる。天平神護元年(765年)の木簡に名前がある。 聖武天皇の御代、帰国した遣唐使が中国人3人とペルシャ人1人(李密翳と名乗る)を連れてきた。清道この縁者かもしれない。 この頃サーサーン朝ペルシャが滅び、唐に亡命政府があった。 pic.twitter.com/NM4c9Dm4XD

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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@tomoshibi6o6o

みんなのコメント

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滅亡した大国の王族が、別の大国に亡命して役職を与えられるみたいな話凄く好きだけど、まさか現実にあったとは思わなかった 亡命したササン朝の王家(ペーローズ3世)の末裔はその後どうなったのだろう……

冷田氷水@ATBC785

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すごい。今古代中東の歴史の本読んでるから余計に興味深いです。 奈良時代の研究、すごい楽しそう。

いもも📎@UMrKpZXQ5fl4jU3

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案外交流の歴史深いんだな

ゴーダ@goda_kazunto

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