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さらに1562年(永禄5年)には、次男・三好実休が和泉国(現在の大阪府南西部)で起こった「久米田の戦い」(くめだのたたかい)で討死。 そして1563年(永禄6年)には、三好長慶唯一の嗣子だった「三好義興」(みよ しよしおき)が急病に倒れ、22歳でこの世を去った。足利義輝からの信任が厚かった

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レディオ湘南『ちょっと日本が好きになる。大人の日本昔話』@rekishiradio831

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三好義興は、「実力は父に勝る」、「天下の乱を治めるべき人物」と評されてい た。 こうして三好家は、わずか2年余りのうちに、重要人物を次々失ったことで家中の統制が利かなくなり、一気に下降線をたどる。長慶の悲嘆はすさまじく、この頃から心身に異常をきたし始めたとされ、最後は弟の安宅冬康を

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