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富山城(郷土博物館)。最初に築城したのは神保長職(ながもと)。管領家畠山氏に仕えた神保氏は、越中守護代であったが、享禄の錯乱に守護方で戦って壊滅的敗北を喫して没落した。再興に向けて神保長職は富山南部に進出し、天文11年(1543)神通川東岸の地に築城したという。★西からの守りに強い立地か。 pic.twitter.com/GjceriEUo4

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いつみみふね@skytree222

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越中の守護代は神保・椎名・遊佐の三氏。西の椎名は越後上杉の代官になっていたため、椎名と戦った神保長職は、上杉謙信の出兵を招き、永禄3年(1560)富山城は謙信の手に落ちる。長職は西に逃げて戦うも、最後には謙信に降りた。★郷土博物館は昭和29年の富山産業大博覧会に向けに大手口に建てられた。 pic.twitter.com/G2BLJ09ahs

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