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越中の守護代は神保・椎名・遊佐の三氏。西の椎名は越後上杉の代官になっていたため、椎名と戦った神保長職は、上杉謙信の出兵を招き、永禄3年(1560)富山城は謙信の手に落ちる。長職は西に逃げて戦うも、最後には謙信に降りた。★郷土博物館は昭和29年の富山産業大博覧会に向けに大手口に建てられた。 pic.twitter.com/G2BLJ09ahs

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いつみみふね@skytree222

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天正6年(1578)謙信が没する。同8年頃織田勢が越中に進出、一時上杉と結んだ小島職鎮が富山城を奪い返すが、結局が佐々成政が越中一国と富山城主に。本能寺の変後、秀吉と対立した成政だが、天正13年に降伏。文禄4年(1595)富山は前田利家ヘと与えられた。③千歳御門。北西に千歳御殿があったという。 pic.twitter.com/WgUNg1iCrr

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