ポスト

天正6年(1578)謙信が没する。同8年頃織田勢が越中に進出、一時上杉と結んだ小島職鎮が富山城を奪い返すが、結局が佐々成政が越中一国と富山城主に。本能寺の変後、秀吉と対立した成政だが、天正13年に降伏。文禄4年(1595)富山は前田利家ヘと与えられた。③千歳御門。北西に千歳御殿があったという。 pic.twitter.com/WgUNg1iCrr

メニューを開く

いつみみふね@skytree222

みんなのコメント

メニューを開く

慶長10年2代目当主前田利長は隠居し富山城に入った。2代将軍秀忠の娘を正室とした利常に家督を譲ったためだ。利長は大規模な改修を行い、富山城は近世城郭に整備されたが、同14年の大火で焼失。利長は高岡城を築いて移った。①奥の城郭風建物は佐藤記念美術館、後で紹介。②搦手。③東側石垣。 pic.twitter.com/u0eE9gBM6L

いつみみふね@skytree222

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ