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「雨そのものの仕業のように」(井上謙治訳『フォークナー全集14』1968年)。「雨そのものと同じように」(橋本福男訳『新潮世界文学42 フォークナーⅡ』1970年)。やはりここに関しては、加島祥造の訳文はまずい。ぼくは本当はasを様態ではなく、時と誤訳してほしいが、このなかでは井上訳がいい。
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また『野生の棕櫚』の訳文がおかしい。「自分が反発されつけず、反発されないかぎり平静で愛想のいい調子を保てる人物の声」。「反発されつけず」ってなんじゃらほい。原文は"the voice of a man who could keep calm and affable because he wasn't used to being crossed"。