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春成氏が型式学的再分類した西山系特殊器台(鯉喰神社墳丘墓)以降の向木見系特殊器台・宮山系特殊器台という地域ごと分化とそれに伴う?備中弱体化です。宮山系は庄内式併行期に吉備内部で非主流派に転落「大和に押し出された」ようです 春成秀爾「向木見系特殊器台の研究」 rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2428/fi…

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アヂ@csagev

みんなのコメント

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越の片山鳥越5号墓も木槨墓、玉類製作加工の地の統括者で吉備に所縁のある人物だと考えられますが、立坂の木槨墓に類似してます。弥生時代後期から終末期にかけての玉類の分布等、お調べになると良く分かると思います。

Yoichi1106@Yoichiaka1106

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弧帯文が出現するのは、矢野銅鐸埋納以後です。弥生時代の木槨墓の系譜、ご存知ですよね。楯築以降は東部瀬戸内に移動してます。それを弱体化と見做すのは個々の研究者によって違うのかもしれません。その時の大和には何があったんですかね?

Yoichi1106@Yoichiaka1106

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