ポスト

現在の川原寺跡弘福寺に残存する、瑪瑙石と呼ばれる 28 個の礎石は、宣長が『菅笠日記』に記す「がらんの石ずゑ」と同じものと思われます。が、瑪瑙石はそのすべてではなく、1 個のみです。くどいようですが、三井高邦とその母の記録によれば、めのう石は、橘寺から見える小さな観音堂の前にあります。

メニューを開く

Kyoko Deguchi@wood_odd_pansy

みんなのコメント

メニューを開く

川原寺跡弘福寺はまた、7 世紀中期に斉明天皇が営んだ飛鳥川原宮址ともされます。川原宮は、斉明天皇の子である天智天皇の代に、川原寺に改められます。高邦と母は、川原の左大臣は知っていますが、川原宮も川原寺も知りません。高邦らがこれらを知らないのは、無知無学だったからではないと考えます。

Kyoko Deguchi@wood_odd_pansy

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ