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ウィトゲンシュタインは日記で「自分が学びたいところでは自分は教える立場に置かれてしまう」とぼやいていたのだけど、そこに彼が哲学の教師としてあることへの違和感というものが端的に示されていると思う。というより、そもそも哲学とは学問的な意味での教育的対象として適切なものなのだろうか?

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星野障月@angelchain

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もちろん、自己自身の視野を広げるという点に学問があるとするなら、その一点のみで様々な活動とは学問的対象になりうるし、それは雑学にしてもサブカルチャーにしても十分にその要件を満たすものだろうし、そこに歴史的な伝統が付加されるとするならなおさらである。伝統が学問を正当化するだろう。

星野障月@angelchain

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