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【なぜ明治期に地方(文芸)誌が出せたのか?】 現代と背景が異なるからではと思うのです ・明治時代は未だ「東京一極集中」ではない (江戸期の北前船航路の影響→日本海側の石川や新潟が人口第一位になる程、地方都市も栄えた) ・明治二十年頃の雑誌は「部数は概ね千部以下、通常五百、六百」

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発行部数が多くなく大都市からの出版に拘らなかったとか? 当時の食料品も地場生産・現地消費で、これと相似形です 例:ラムネ商は瓶回収の手間があり、人力配達か車か、運搬手段で生産規模が決定。これは雑誌なら部数。 明治期は零細でも経営が可能で五百部千部で利益が出て、生活ができたと思われる

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