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徳川慶喜とキャリア市場価値? ラスト将軍の慶喜は母親を通じて宮家との血縁関係があったため、新政府から朝敵になることをなるべく避けてただ長生きするだけで名誉挽回がしやすい立場であったらしい。 慶喜はその恩恵を受けて最終的に個人として尾張家を超えて公爵にまで登りつめている。

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アポロン@勉強垢@apolon12345

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王妃のマリー・アントワネットも上品な遺言を遺しているが、狂気の民衆には通じなかった。 「あなた方は私から王妃の座と夫を奪いました。今度は私の血を奪ってください。」 みたいなどちらかと言うと挑発に近い言葉を遺している。

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令和風に言えば、ある意味で本人達のコミュ力の高さが結果的に本人達の延命に繋がったのかもしれないと言える。 だから仮にもっとコミュ力が低い人だったならばフランス革命の国王みたいに運命になっていたかもしれない。

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慶喜も幕府の老中も昭和天皇も共通するのは本人自らが敵相手に命乞いをしていないこと。 慶喜の場合も昭和天皇の場合も勝海舟や取り巻きの軍人首脳陣が命乞いしたかもしれないが、本人たちは行っていないし、恐らくは責任を取る立場だと言うことは覚悟して敵側と会っていた。

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新撰組の近藤勇もまさか自分が幕府の責任者の1人として将軍の身代わりになって人柱にされる1人だとは思ってもいなかったはず。 同じように会社でも不祥事があれば迷惑をかけた相手の会社から損害賠償を請求され、その責任の多くを負わされる犠牲者に関わった社員そのものが受けることがあり得る。

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仮に会社が法人として裁判上有罪と認められて何らかの罰を受ける時、経営者である社長が軽い管理者責任を追い、実質は従業員が直接関わった者として会社に代わって重い罪を引き受けることがないわけではないと思う。

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明治維新の時も強制的に戦犯がまつり上げられたり、旗本や家老や家老格が自ら名乗り出ることで人柱になり幕府や藩の仲間を守る形になった。

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明治維新の時は幕府の将軍も幕閣を構成する老中も結果的に戦犯として責任を負わなかったが、太平洋戦争の場合は元陸軍大将であり元首相クラスが責任を取る形になり、またA級、B級、C級戦犯と責任を取らせられる軍人関係者が続いた。

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恐らく天皇の大権によって無条件降伏を受けたのであり、軍事政府はあくまでもそれを後から批准したに過ぎず軍事政府はまだこの段階でも降参する気はなかったらしい。 そういう意味で天皇の果たした役割が認められた可能性はあるが、戦犯は他の誰かは受けなければならないことには変わらなかった。

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ただ慶喜の場合は完全無条件降伏ではなく、慶喜を隠居させて身柄は駿河藩預かりにすると言う条件で身を引いたのであり、太平洋戦争は無条件降伏でありながらその引き金になった直接の張本人が昭和天皇であり、本人は命乞いもしていない。 しかしながらマッカーサーが結果的に責任取らせない判断をした

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しかしその一方で徳川宗家のボスとしては自分1人が助かる代わりに部下に責任を肩代わりさせてしまったみたいな関係になった。 でもその生き方は昭和天皇も同じで、慶喜と西郷隆盛の関係が昭和天皇とマッカーサーだったのかもしれない。

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