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仏教とかってそういう考え方になりがちなんですけど、じゃあ、仏教の世界観において、どうやって人は善行を積むのかなって思うんですよ。修行僧が至る境地が善悪の彼岸であるとしても、結局、社会統治の思想としては、「善行を積めば極楽に行ける」みたいな話にならざるをえないんじゃないかなと。

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葵真碧(mao aoi)@生成AI推進派@maochin39blue

基本は「諸行無常」。物事に絶対性や普遍性を求め始めると、そこから人は腐り始める。善性や正当性は常に相対的なものであり、そこを達観してやっとスタート地点。 「善悪の話なんか相対的な価値観の話でしかない」って話を受け入れられないと、論理的に人は戦争するしかなくなりますね。

青識亜論(せいしき・あろん)@Frozen_Sealion

みんなのコメント

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(´ー` )y━・~~~ちょっと主旨と違うけどそこら辺のモデルとしては LIGHT-NEUTRAL-DARK LAW-NEUTRAL-CHAOS というのがありますねってまあメガテンだけど

猫色電動物@nekosonaLab

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原始仏教は人類初のニートたるお釈迦様が唱えた以上この世の欲から最も遠いところに行くべきとされているので、そこは神道やら儒教も混ぜてですね、ゴニョゴニョしたんですよ後世のアタマの回るヤツが。

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善い行いを積めば極楽に行ける。も、ウパーヤとしては有りますが 善い行いをしている時には、既に仏心を宿している。という言い方も出来ます。

Ma’am TWlTTER 🥷ミ【ゆきみ◎福】❖^𦥯🎂Tennō⛰️+ν@Suki84630

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