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これを一番身近な問題として捉えやすいのが山姥切の研究史だと言う先日の考察なわけですが。元の天草四郎もとい国広が一時期焼失扱いになったからこそ、本歌の長義が山姥切だという説が現れる。失われたものを埋めるための行為で二者の立場は逆転するが、完全に元の歴史と切り離されたわけではなく、

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きちょう@kityou_kagati

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元の物語の影響を受けてお互いの要素が入り混じったまま物語として一時の役目を終えては、再度状況を変えて繰り返す。過程だけ抜き出すと本来Aのはずの物語をBが一部背負っている状況は不自然に見えても、その前の状況から確認していけば当然の結果でしかなく、正しい答に向かって進んでいると思われる

きちょう@kityou_kagati

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