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アメリア・ブルーマーが考案した「ブルマ」はこういうもの ニッカボッカみたいな運動ズボンだったの それが戦後日本で魔改造が重ねられいつのまにか太もも丸出しの密着型ブルマになってしまったという経緯がある 全くの別物なんすよ pic.twitter.com/Zv8HXn2kiI

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BugMaker@BugMsk

「ブルマ」が女性から排斥対象になる時代がきてしまった。 体をが締め付けるコルセットから女性を解放し、そのことで文化的にもがんじがらめだった女性の精神も解放するため米国のアメリア・ブルーマーが考え出したブルマ。 もっと解放を!というのなら分かる。 でもどうも逆の気がしてならない。

Simon_Sin@Simon_Sin

みんなのコメント

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日本ではブルマー(当時はこう言っていた)は大正時代に女学校で運動の授業で使われたのが最初で、今時のブルマと違って大きくて膝の上あたりまで裾があるので、下が見えないミニスカートって感じなんですよね。 当時は女性が外で気兼ねなくスポーツが出来るようになった画期的な服装でした(´・ω・`) pic.twitter.com/Ct3vxyhFtq

ゆっくり零仁@LHqK83CIm2Y8AGf

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1970年代初頭に中学生だった記憶では、ブルマとはちょうちんブルマのことで、今言うところのものを女子たちは「アトムパンツ」と呼んでいたそうだ。当時絶頂期だった女子バレーボールのユニフォームだったのでみんな憧れてて、夏休み明けにはほとんどの女子がそれにはきかえたのが驚きだった。

麻川好史@asakawakoushi

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日本で変化したのではなく、女子バレーのウェアとしてよく知る形態になって、それが東京オリンピックをきっかけに運動着として定着したという流れだったのでは?

mobile_neko@mobile_neko

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サザエさんのワカメちゃんに昔の体操着を着ている場面があるが、そのころの幼い女の子はちょうちん袖の服とかちょうちんパンツのようなものを着ていた。動きやすかったからだろうけど、乳児のおむつカバーと外観が似ていたので、格好悪くて嫌われていたようだ。

麻川好史@asakawakoushi

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1952年開催の第二回バレーボール世界選手権(女子はこの大会から。このとき日本はまだ不参加。) 決勝戦ポーランド対ソ連の試合の写真ですが、ソ連のユニフォームは既に密着型のように見えますね。 en.volleyballworld.com/volleyball/com… pic.twitter.com/c1XknflX8x

tarobe yonaoshi@YonaoshiTarobe

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アメリア・ブルーマーでググればWikipediaでこの絵も出ますが、ご本人が考案されて愛用されてたのはこれですね。(上はショートドレスで下のズボンがそうだとか)そもそも、あの時代にあんな伸縮性のある布地があるわけがないのだが。 pic.twitter.com/XEdoD4Kley

Yasmin Amanita@YasminObsidiana

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“それが戦後日本で魔改造が重ねられ” あの恥ずかしいブルマーはなぜ日本中の学校で強制されていたのか? 裏には教育界とメーカーの癒着が excite.co.jp/news/article/L… 東京オリンピック当時、ソ連女子バレーの密着型ブルマがトレンドだったので それを学校指定の体操着にして急速に普及させたそうです。

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ブルマって人名由来なのか。 じゃあ、ドラゴンボールのブルマは名前としては普通(?)なのね。 名前と名字の違いはあるけど。

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> それが戦後日本で魔改造が重ねられいつのまにか太もも丸出しの密着型ブルマになってしまったという経緯がある 日本限定の話なんですか? 陸上のユニフォームとか世界的に見ても似た様な形だと思うけど…

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昭和期の女子バレーだと、世界各国の選手がみんな密着型のブルマーのわけだが、これは日本で魔改良されたものを世界各国が真似たのか?

エルにゃん@6QQdiooXIgJdrat

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