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談山神社は、中臣鎌足の死後、唐から帰国した鎌足の長男、僧定恵が、父の墓を摂津国安威から移し、その墓の上に十三重塔を造立したのが発祥とされます。講堂が創建され、十三重塔を神廟として妙楽寺と号します(Wikipedia による)。一方、高邦は、この妙楽寺の寺号も談山権現の社号も記していません。

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Kyoko Deguchi@wood_odd_pansy

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「左え行道櫻の馬場也吉野より見事也」に続けて「惣門下乗」「惣堂と云」「古御殿前ニ拜殿あり」となっており、何という寺院や神社の惣門や惣堂なのかわかりません。吉野の「本堂え参詣」(52/297)もそうですが、社号も寺号も明記されていないのです。「本社外廊拜殿有 大職冠大明神也」とあります。

Kyoko Deguchi@wood_odd_pansy

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