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《おそらく、ナポレオンは、自己を取り巻く人々を、彼の目的に利用し、適用させる種々の作業能力をもつ機械として眺めていたにちがいない。それどころか、自分自身も機械として見ていた》87ー88頁とマルティン・ブーバーは云う。 ひとを〈なんじ〉として見ることができない〈われ〉の危険性。

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こががっこ@cogagacco

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しかし上記のブーバーの論はすこし不当な気がする。ブーバーから見てソクラテスやゲーテやイエスは〈なんじ〉という根源から〈われ〉を語ることができるのにナポレオンにはそれができない。なぜブーバーはそう断定できるのか? その権利をどこから獲得したのか? これがわたくしの問いである。

こががっこ@cogagacco

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