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自分だって知らないだろ、戦前のことなんか。本当にモノ知らないくせに、腹ただしい文章書くな、この人。

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May_Roma めいろま 谷本真由美@May_Roma

日本にはベビーシッターやハウスキーパー文化がないから〜、共働きするためにシンガポールみたいにメイドを入れるべき〜と言い張ってる若いの、日本だって戦前はある程度の階級だと女中がいるのは当たり前なのを知らない。他人を家に入れて働いて頂くのは大変。使う方にも品格やマナーが必要

Kangetsu@conectrod

みんなのコメント

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自分が知らない事は他人も知らない筈だと決め付けてる奴。

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実家はそうでしたよ。 住み込み女中たちに、書生や運転手が敷地内に住んでいました。他に地方(埼玉や群馬)から中卒で嫁入り修行に来る娘。家事一切を覚え「〇〇家で奉公」で箔つけて良い家に嫁ぐ。他に学習院大から礼儀作法を遊びながら教わるお姉さんとか。友人も同じ家庭の人多かったし。

世田谷夫人@Su_san0113

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知らないだろ、と言う文章に注目するとバカにされた心理もわからなくも無いですが全体をきちんと読み取れば揶揄された訳じゃなく家に人を雇い入れるのはデメリットがありますよ(経験からの発言) と言う内容だと思います。

何故かずっと育児中@CjWoK7i0b0r4tHc

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40代後半50代の世代ではいた人も多いと思う。3丁目の夕日的な感じで自営業のうちとか。

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大正15年大阪ミナミの現、高島屋別館辺りに住んでいた亡父の生家には女中さんが4〜5人居ましたけど…

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ああ、他のところで戦後も住み込みの女中がいた話をしてるのか。 戦後も住み込みの女中、家政婦がいたことは知ってるよ。松本善明のところも誘拐事件があったくらいだし。

Kangetsu@conectrod

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めいろまさんのいうとおりです。 戦後しばらくまで女中がいる家はありました。 丁稚奉公とか女中とか昔の日本の仕組みです。

tokumeikibon 原発再稼働・新型原発を!@tokumeikibon1

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wikiによると、「20世紀も1950年代後半頃に差し掛かると、女性の権利意識向上、就学率の上昇などに伴い、こうした奉公人的性格を持つ女中の担い手は徐々に減少していった。」と書いてあります。まだあったのは事実でしょうね。

空条。@_9JOXX

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戦前の住込みの女中はよく大河ドラマや朝ドラで描かれています。 まあ戦後もね。俳優一家の高島さんの長男は住込みの女中さんに殺されてしまった。

Yurika M@YurikaM14

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我が祖母は呉服屋さんの何人もいる住み込みお針子の一人だったので、ほぼお手伝いさん状態でしたよ。いたって普通のことでしたよ。

たぬきうどん@ta_nukiudon

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