ポスト
【あの日のラテ欄】昭和51年5月22日(土) 『土曜の朝に』出演の月亭可朝が嘆いた。多数のレギュラーを捨てて挑んだ参院選は得票わずか8.5万で落選、妻子がありながら〈婚約〉して裁判沙汰。さらに前年、灯していた仏壇のロウソクが倒れて自宅が全焼。もはや住むところも〈ナインやで〉。@retoro_mode pic.twitter.com/kQGql4PBWK
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く
まだ鈴木ヤスシさんが司会に就任前の「キンカン素人民謡名人戦」は、後に後任を務める事になる当代・小猫師匠の御父様が親子揃って出演。しかも名脇役の多々良純さんも…。 pic.twitter.com/u4pRfqKnQX
メニューを開く
土曜映画劇場の 解説を担当してたのが #児玉清 さんだったとは! #トブルク戦線 、 決して嫌いではない。 #ロック・ハドソン 主演だけど、 二番手の #ジョージ・ペパード が 実質主役と言って良い佳作です。
メニューを開く
可朝師匠の一時の気まぐれ?によって最も恩恵を受けたと思われる番組が、ABC「新婚さん いらっしゃい!」ABCにとっては死に枠だったのが、可朝師降板後、司会が桂三枝・梓みちよのコンビに変わってからジワジワと支持を拡大、東阪ネットチェンジの追い風にも乗って、今日に至る長寿番組になりました pic.twitter.com/rCSc2n5A7e
メニューを開く
なお、月亭可朝が落選した参院選全国区では 立川談志が最下位当選、野末陳平が繰り上げ当選。 のちに二人はTOKYO MXで「談志・陳平の言いたい放だい」をやることになる。 その次の参院選全国区では青島幸男、コロムビア・トップが当選して横山ノック、映画監督の武智鉄二が落選。