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「鎌倉時代に入ると、日本を大地震がひんぱんに襲うようになります。その結果、地震国日本で独自に発達した和様の寺院はほぼ無事でしたが、平安時代末期に、中国から僧重源が伝えた大仏様及び禅宗様の寺院は次々と倒壊してしまいます。」(宮元健次『〔図説〕日本建築のみかた』学芸出版社、P105) pic.twitter.com/Lhfst5WZSh
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「城の象徴とでもいうべき天守は、明治までには約四十箇所以上の城郭に残されていました。しかし、その後取り壊されたり、第二次世界大戦の空襲により破壊されたりし、当初の天守が現存する例は、わずか十二例にすぎません」(『〔図説〕日本建築のみかた』学芸出版社、P255) amzn.to/3KcCqN5