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創価学会の場合は主張変えても総括せずに曖昧のままにして下駄を学会員に預けます。個々の学会員が公式ではない御加文の否定や大御本尊が偽物等と色々主張するのです。 勧誘しづらいのは教学以前に若者には魅力がないからでしょう。それで池田大作神格化による内部統制となったと思います。
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確かに総括や反省をしないのが創価学会の特徴ですね。依存し切っていた「永遠の師」が消えてから教学が曖昧になり解釈は会員に投げうったまま、自力更生不可能という事でしょう。池田氏の神格化は1960年代からですがピークは不開門云々の頃かもしれません。内部統制も戸田時代から徐々に強化しました。