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慶長の役で蔚山城攻囲に参加した明の遊撃将軍・陳寅が朝鮮に紙甲の製法を伝授し、以後朝鮮軍で多用された。鳥銃くらいなら防ぐ優れものだったがさすがにライフル銃には耐えられず、辛未洋攘(米海軍の江華島攻撃。1871年)では多くの紙甲兵が戦死し、その鈍重な動きも米側によって観察記録されている。 pic.twitter.com/UI1mpZ1tPx

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あの夏@DBo2750puu0hfu3

文禄慶長の役の『懲毖録』に、賊(日本軍)はよく槍刀を使うが、我軍(朝鮮軍)にそれを防ぐ堅甲が無い。厚い鎧を全身に纏えば賊は刺す隙間が無いので勝てるだろうと工匠に鎧を造らせる話がある ただ、賊と戦うには満身の厚い鎧を着てはその重さに勝てず、賊を殺せないとして製造は中止になった……

中西豪@史道不覚悟@take_nakanishi

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