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そして雪山作りの流れの中で、さりげなく「にはかに内へ三日入らせたまふべし」、つまり定子が1月3日に内裏に入ったという重大事件が記される。これはのちの敦康親王誕生に繋がることになる。一条帝にはいまだ定子出生の内親王しかおらず、皇子懐妊は道長政権を揺るがしかねない重大事件だ。

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empress ahe@AheEmpress

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そして雪山はしぶとく残り、清少納言の勝ちと思われた1月15日の直前、定子は雪山を取捨てる。「清少納言を守ろうとした」などとも言われているが、この章段は明らかに定子の長徳の変以来の正式な内裏入りを描いている。そんなささいな理由の筈がない。

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