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繰り返しますが、『開目抄』の「諸宗は本尊にまどえり」の後に続く文は「華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那・大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるに・つけり」とあり、大日如来が否定されています。 なぜそれが本尊に「大日如来」を勧請する根拠になるのですか?

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気楽非活ロレックス。@mwP0s8t4fiA7LWQ

みんなのコメント

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非活よ、釈尊下しておることが問題なのであるから、御本尊に適切な配置で書かれることに問題はないのでありますことよ。

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