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天平五年(733)の事であった。 その後、約200年の歳月が流れ、寺は荒れ、お堂は崩壊し、観音様は雨風にさらされたままになってしまった。 ここに一人の娘がいた。彼女は鳴海長者・太郎成高の家に仕えており、その器量を妬まれてか、 雨の日も風の日も酷くこき使われる日々を送っていた。 ある雨→ pic.twitter.com/Lf3CAavoV6

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松阪のおとん🐰@katakamilky

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の日、雨露に濡れる観音様の姿を見て気の毒に感じ、 自分がかぶっていた笠をとり、観音様にかぶせたのであった。 その縁か後日、関白・藤原基経公の息子、中将・藤原兼平公が下向のおり、長者の家に泊まった際にその娘をみそめ、 自分の妻として迎えようと決心した。 苦境を救われ兼平公の妻と→ pic.twitter.com/n1WmTy16ZF

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