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言葉と意味の対応を前提としてしまうと話が生まれない。著者のこの観点には同意できる。ヴィットゲンシュタインがラッセル理論への不満を示した。そもそもエーコの記号論やリクールの隠喩論もそこから出発する。意味とは記号となるものの間の相互作用であり、コードはその制度的な記号的分離である:-

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雲吞犬@indokenryo

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グライスのインプリケーチャの論文もそういう背景が感じられる。蛇足かも:-

雲吞犬@indokenryo

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