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大学入って一番驚いたのは、 「邪馬台国論争はもう解決済みです。九州説の学者もいるにはいますが、ちゃんと考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」 と古墳時代の講義で教わったことかも
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確かに考古学で九州説の人は少ないですね。 神武天皇の実在を想定する史学の先生方は、九州説が多いなというのが私の所感です(若井俊明先生や岡田登先生など)。 私としては近畿説の方が説得力を感じるところですが。
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おっしゃっていることはわかるのですが、ちゃんとした学者のうち9割が◎◎説であるけれどもあとの1割が非◎◎説だとすると、「もう解決済み」ということにはならないと感じます。100人中99人、くらいになってはじめて「『ほぼ』解決済み」かなぁと。
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九州説は「漠然と九州と言っているだけで、九州のどこにあったのか統一見解がない」事が弱みになっているんですね。吉野ケ里遺跡は年代が合っていない。纏向遺跡で見解が一致しつつある近畿説の方が論として成立している、と
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畿内は魏志倭人伝と一致しない所だらけですよ。 邪馬台国から東に海を渡った所に倭人が住んでいるや、邪馬台国の南にも何カ国も国があると書いてますが、巻向では合わないです。 これらは九州なら合います。 他にも畿内とするには、書き換えないといけない所が多く、どう説明するのでしょうか。