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汾陽理心の墓。ちなみに「汾陽」は「かわみなみ」と読む。鹿児島の興国寺跡(興国寺墓地)にある。立派な墓に「汾陽理心」の文字が確認できる。 島津氏に仕えた明国人で、もとの名は郭国安。泗川の戦いでは明軍に対する策謀(偽りの内応)で活躍したという。 #汾陽理心 #興国寺 #鹿児島市 #鹿児島県 pic.twitter.com/oAAueLU5n7

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ふひとべのべ@benobe5858

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郭国安(のちに #汾陽理心)は永禄2年(1559年)は日本見物のために入国。薩摩国の京泊に滞在しているところを島津義久にスカウトされて家臣になったという。汾陽(ふんよう)王の末裔であったことから、日本では「汾陽(かわみなみ)」という姓を名乗った。情報は『本藩人物誌』から。 #汾陽氏

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