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伊周・隆家失脚直後の長徳2年(996年)6月8日、定子の住まいである二条北宮が火災により焼失、当時懐妊中の定子は従者の侍に抱えられて避難したという。藤原実資は日記『小右記』に「昨日の火災で中宮様の宮殿は焼亡してしまった。"禍福は糾える縄の如し"とはまさにこの事だ」と書き記している。… pic.twitter.com/qk6l2JP8Pu

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検非違使は今の警察や検察と紹介されてたが、当時は消防や救急がなかった( ;∀;) 実資は日記に書く余裕があった。

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