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「かへる年の二月廿余日」の段の斉信とのやりとりは、懐妊を知られないようにするための攻防ともいわれれてますよね(自信なし) 帝がいつお知りになったか分かりませんが、公式発表前の重大機密を一介の女房が他人に漏らすわけがないですや。ましてや、今は誰が敵か味方か分からない状況なのに

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もう一つの説としては、斉信はこの時清少納言を説得して彰子の女房に引き抜こうとした、後に則光にしつこく清少納言の居場所を問いただしたのも、もう一回説得にチャレンジするため、というのもありますね。その説を取った場合、清少納言の内通疑惑も自然発生した噂かどうか怪しいです。

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しかもききょうは、まひろが道長とつながりがあるかもしれない、と一度は疑念を抱いたはず。なのにペラペラと喋るなんて。

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