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最上義光の死後数十年の後、山寺状立石寺絵図(仮)に記された最上義光の玉屋(霊屋) 現在とは場所が異なる 当初存在していた目印となる十六羅漢岩?も現存はしていない模様 注目点はよしあきたまやと平仮名で書かれ、江戸時代初期には最上義光の名前の読みは山形でよしあきと認識されていた事が判る pic.twitter.com/9kfKlazn9l

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最上義光の山寺の副霊屋は義光の四男の山野辺光茂(山野辺義忠)によって建立されたといった伝説があった 建築素材からもほぼ時代が合うと見られている ※本霊屋は元は慶長寺にあったが最上改易後に山形に入った鳥居忠政に墓域を奪われ、現光禅寺域で明治時代に大火で焼失 iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-829… pic.twitter.com/pt6hSTHlis

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