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一方、シーア派はアイーシャを嫌っており、第4代正統カリフのアリーの妻ファーティマ(ムハンマドの娘で母親は本妻)を崇敬している。627年の某事件を契機として、アリーはアイーシャの離縁を要求するなど、両者の関係は極めて険悪であり、武力衝突に発展(656年のラクダの戦いでアリーが勝利)。 pic.twitter.com/KlPaGSOv9Z
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※チュニジアやエジプトで栄えた10〜12世紀に栄えたファーティマ朝はこのファーティマに由来する。 また、ファティマの予言で有名な、 ポルトガルの地方都市ファティマは、これに由来している。(8世紀〜14世紀に掛けて、イベリア半島はイスラム王朝の統治下にあったため)