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1600年、京極高次は関ヶ原の戦い前では最初、立地的なこともあり西軍に付くが、ある夜に抜け出し大津城に戻り東軍に鞍替えする。 大津城は湖にあり守りが硬い城ではなかった。 加えて攻めてきたのは猛将・立花宗茂である。 ↓
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京極側は守備し続け、曲輪も落とされると高次本人も槍を振るって戦った。 しかし耐えきれず、9月15日の朝に降伏。高次は助命され出家して高野山に登った。 奇しくもその午後、関ヶ原の戦いが東軍勝利で終わる。 京極高次は下山し、家康に感謝され若狭一国を与えられた。 京極高次、1609年没(享年46)