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推古天皇紀には、この時代に作られた溜池についての記述があります。「於倭國作高市池・藤原池・肩岡池・菅原池、」の肩岡池は、現在の奈良県北葛城郡王寺町本町にある「芦田池」に比定されます(王寺町観光協会 HP による)。芦田池は朝池とも作ります。芦田池のほとりには地蔵尊があるのが見えます。
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高邦らによれば、達磨寺本堂の後ろには経塚があります。現在の達磨寺本堂の後ろには、国指定重要文化財「達磨寺 中興記石幢」が設置されており、「石幢とは八角石塔のことで、」という説明書きがあります。経塚とは仏教の経典を埋蔵した塚のことなので、この石幢とは別のものであることがわかります。