ポスト
春季企画展コラム③ 「問題手頭点合」(もんだいてがしらてんない)は、島原の乱から6年後、寛永20年(1643)に佐賀藩の家老職にあった多久茂辰から出された質問状です。茂辰は鍋島勝茂の娘聟であり、佐賀藩の藩政にも関わっていました。 pic.twitter.com/ctekAGP3Hw
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く![](https://rts-pctr.c.yimg.jp/BgIFgYJGVIVv8u0nVJvw8B2FauAYMF4jOP5zFJAV4i5e72TLbER0xQeK1l8ZZ0OL6nosEpT6U6MPOJXwyac7pQ9jZ1GJJIu31oZkhGei5IDdnBKo0bkhHJkhhFLbk1v0j4vwg57baL8aYu1jGcUIeMCs5l7_dDQa5X-kaMJtApYATCyELIZSf3FvddfQrFkNR7GXCa3e-iwuXVU_W6YAddhZNTJLWcZkmDEs0RXiEto=)
時代は乱世から徳川の泰平へと転換しようとしていましたが、佐賀藩御取つぶしの危機(島原の乱での軍規違反・伯庵事件)などを経て、未だ先の見えない状況で佐賀藩のあり方を15人の佐賀藩重臣たちに問いました。その答えは、当時の武士たちの考えをそのまま知ることができる、興味深い史料です。