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この時、藤堂進はやまとの改装工事監督員だったが、改装が呉で行われたのならば横須賀の自宅へ気軽に帰ってはこられないだろうから、やまとの改装は横須賀(おそらく信濃を建造した、史実では米海軍に接収されたドック)で行われたと読める。1982年、主砲の換装もこのときに行われた。

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上原綾瀬@Abiko85s

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大和型建造時に則れば、呉で新型主砲関連を製造してそれを「砲塔運搬艦」的なフネで横須賀へ運び込むことに…信濃用ドックの件といい、そこまでして横須賀でやらないといけない理由とは?(ほうしょうの建造はしばらく後)

上原綾瀬@Abiko85s

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