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『山勘逍遥之記』〜其の漆拾肆『傾いて候』〜 京へと參った。 出雲の阿国である。 出雲とは云うが出雲の出と云うわけではない。 四條河原邊りに小屋を置き踊っておったと云う。 何時しか其の新しき踊りは巷で流行り廣まる。 後世に『歌舞伎』として伝統として續く事と成る。 #出雲阿国 #かぶき踊り pic.twitter.com/h88h3gYxY7

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山本勘助道鬼齋@yamakandoukisai

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然し其の活動は思うたより長くは無く、關ヶ原の戰より後、十年程が主だったものである。 夫は名古屋山三郎と云われておるが、關ヶ原の後は主の名森忠政に付き津山へ。 政敵井戸宇右衛門を抹殺を命じられるが返り討ちにあう。 後家と成った阿国は山三郎の亡霊と舞ったとも云われるが…… #出雲阿国 pic.twitter.com/MiBGmGQDo4

山本勘助道鬼齋@yamakandoukisai

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